熊本県菊池市
廣現寺(こうげんじ)より有縁の方々へ
「母、古希になる」
前住職である父が往生して、もうすぐ20年になります。
父とは8歳下だった母も、あっという間に父の歳を追い越して、古希を迎えました。
父が往生してからというもの、母と二人三脚でお寺を護ってきましたが、今振り返っても怒涛の日々でした。小さい時からお寺のことをしてきたつもりでしたが、それが「つもり」であったことを痛感し、責任の重さに押しつぶされそうになっていた私に、「大丈夫、大丈夫、あなたなら大丈夫よ」と声をかけ励まし続けてくれていたのが母でした。
それでも、「大丈夫じゃない!」と当たりちらしていた私ですが、振り返ればそれこそが母に甘えさせてもらっていたことであり、気持ちを受けとめてくれていたからこそ、弱音をはくことができたのだと思います。
そんな母から、ある記事の切り抜きを渡されたことがあります。
『網の目が、たがいにつながりあって網をつくっているように、すべてのものは、つながりあっている。
つながりのないものは、一つとしてこの世に存在しない。
一つの網の目が、それだけで網の目であると、考えるならば大きなあやまりである。
他の網の目と、かかわりあって一つの網の目といわれる。
一つの網の目は、他の網の目のために役立っている。人と人とも同じだ。』
もらった当時は、キョトンとしてただ受け取っただけでしたが、おそらく自分のことで精一杯で周りが見えていなかった私に大事なものを伝えようとしてくれていたのだと思います。
母の教えもあってか、おかげさまで、たくさんのつながりをいただき、生かされていることを日々実感しております。
相変わらず、喧嘩の絶えない親子ですが、今日はとことんお祝いしたいと思います。合掌
てくてく坊主 秋吉顕誓