熊本県菊池市
廣現寺(こうげんじ)より有縁の方々へ
本日は、お釈迦様が涅槃に入られた日。
「涅槃会」のおつとめをいたしました。
以前ご紹介したことのある、中村岳陵先生の描かれた大阪四天王寺金堂壁画の「涅槃」を見ながら、少しお釈迦様の事を味わいたいと思います。
(入涅槃)
80歳になった釈尊は、ヴェールヴァ村で、雨安居の最中にとても重い病気になり、弟子のアーナンダは、「このまま釈尊がいなくなられたら」とうろたえ、弟子の中から後継者を選び秘伝を託されることを釈尊に願ねがいでました。釈尊は、「法に秘伝などない。この上、私に何を期待しようというのか。伝えるべきことはすべて伝えた。これからは自分の人生を自分の足で歩め。法に依って、法を依りどころとして、他のことに振り回わされることなく、人生を精一杯生いきなさい。法を喜ぶ人がいるところ、私は常にともにある」(自灯明、法灯明)とさとされるのでした。
少し体調を持ち直された釈尊は、法を伝えるべく旅を続けられます。その途中、パーヴァー村のチェンダが、釈尊にきのこ料理を供養し、それを食された釈尊は、激しい下痢と痛みにおそわれました。
仏伝によると、釈尊は料理のなかに、体によくないものが入っていることをすでに察知されていましたが、チェンダのもてなしを無にしないように食され、また、他の弟子たちには食べさせないようにされたということや、料理を供養したチェンダが悲しまないように、「わたしにとっては最高のごちそうであった。チェンダは大きな功徳を積んだと伝えるように」と言われたことなどが伝えられています。
釈尊は、そのあとも旅の歩みを進められましたが、クシナガラでついに一歩も動くことができなくなってしまいました。いよいよ最期の時、釈尊は二本の沙羅双樹の間に床を設けて、北をまくらに、顔を西にし、右脇を下に、足の上に足を重ねて静かに横になられました。そして、涙を流す弟子達に最後の説法をされました。
「泣くのを止めなさい。私はすでに説いたではないか。どのように愛した者であっても、必ず別れなければならい。お別れの時がきた。すべては移り変わり、決して止まることがない。怠りなく励むがよい」といわれ、静かに息を引きとられました。時に2月15日の静かな夜でありました。
(画)大阪四天王寺金堂壁画
中村岳陵 作(1890年〜1969年)